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めだかの学校水琴窟ギャラリー
名古屋めだかの学校 「水琴窟ギャラリー」がオープンしました。

場所 名古屋めだかの学校
450-0003
名古屋市中村区名駅南1-5-32
タケナカビル4階403号室 TEL-052-583-5656
地図


市バス柳橋停留所から歩いて3分です。
都心の中に、静寂の
空間で水琴窟を体験することが可能となりました。
マンションの室内を防音壁で囲い、照明も暗くすることもできます。部屋の隅に置かれた「水琴の舞」から自然に水が落ちるようにしてあります。
ゆっくりと水琴窟の音を楽しめる空間があります。
東京の赤坂水琴窟ギヤラリーに次いで名古屋で完成しました。
入場は無料です。お電話でお申し込み下さい。

名古屋めだかの学校

# by suikin | 2008-04-21 14:13


壷中琴
「壷中琴」人生の凱旋  

「死は生涯の完成であり、人生の凱旋である」昔からよく聞く言葉である。
今年5月逝去された【日本水琴窟フォーラム】理事北川祥山氏ほどこの言葉にふさわしい人生はなかったと思う。
「壷中琴」誕生
 
昭和60年、NHKテレビ今井邸水琴窟復元の放送を見た北海道帯広市の十勝窯北川祥山氏は、水琴窟の音に非常に興味を引かれた。しかし雪と氷の北海道では瓶を地中に埋めることは無理である。この音が出せる壷を作ろうと考えた。私が初めて十勝窯を訪ねた時、窯場の庭に陶器の破片が高く小山のようになっていた。北川さんは「これは壷中琴失敗の跡です10年は試行錯誤の毎日であった」と語られたが、完成までの苦心は大変であった。水滴を落下させるため、水を染みこませた布を置き、小型ポンプも使ってみたが、音の出る水滴を作ることはできなかった。壷の上に皿を置いて水を自然に落とすことで見事な「壷中琴」が完成した。   
 水琴窟は江戸時代から全国で作られたが、北海道では冬は雪と氷の世界、瓶を地中に埋めることは難しく作られていなかった。
 十勝窯北川祥山氏製作の「壷中琴」は、昔から日本庭園に作られていた水琴窟を、日本庭園から解放して、自由な空間に飛翔させた新しい水琴窟であり、壷のデザインも現代的で美しい。室内でも屋外でも季節にとらわれず、雪と氷を壷の上の皿の置くことにより、北海道イメージの音風景を聴く事を可能にした。新しい日本の音文化がこの「壷中琴」である。
 平成12年6月帯広市本願寺西別院本堂で、北海道水琴窟フォーラム結成記念「声明が壷中琴の響きの中で」コンサートが開催された。本堂内は香の香りが立ちこめ、僧侶が舞台に並び声明と花のデザイン4個の「壷中琴」が一体となって本堂内を柔らかく包み込んだ。日本でも初めての幻想的な新しい音楽が誕生したと私は強く感じた。この後も雅楽、オカリナとの演奏、ソプラノ独唱、日本舞踊と北海道のたくましい大地と、雪と氷の世界を「壷中琴」の響きは水の音楽として地球を表現した。
 翌年1月は特定非営利活動法人として【日本水琴窟フォーラム】が設立され北海道を代表して北川さんが理事に就任された。 平成15年9月、帯広市郊外十勝川かんぽの宿で、第2回北海道水琴窟フォーラムが開かれた。
      

今回はかんぽの宿ロビーに「壷中琴」が設置された記念として、水琴窟俳句を公募発表とインド音楽・ハルモニウムにあわせて水の音を楽しむ会が行われた。
この後インドの鍵盤楽器 ハルモニウムと「壷中琴」2台のコンサートはインドの賛美歌と共に十勝の秋の空へ天高く舞い上がっていった。
 特定非営利活動法人「日本ガルテン協会」は、海外に日本庭園を作ることを進める会で原田会長もこのコンサートに参加され、今計画進行中のチェコの日本庭園に【日本水琴窟フォーラム】を通じて「壷中琴」の寄贈を勧められた。
平成16年6月「壷中琴」5個をウイーン、プラハ、ピルゼンの関係機関に寄付した。チェコピルゼン大学の寄贈式に北川さんと共に私も参加した。北川さんは帰国後体調が悪くなり入退院を繰り返して、平成18年5月ついに帰らぬ人となった。北川祥山作「壷中琴」のすべては全部寄贈された。最期に残った1個は故郷の帯広市児童会館に寄贈された。
誠に見事な「壷中琴」人生の凱旋であった。
# by suikin | 2006-12-17 16:06


無言館
「無言館」
  平成九年長野県上田市に完成した無言館は、太平洋戦争で亡くなられた画学生の遺品
を全国から集めて展示する美術館である。
 平成十四年八月、私は高浜市「かわら美術館」で開かれた「祈りの絵」展にでかけた。「祈りの絵」展は無言館の全国巡回展である。東海地区からも、戦後五十年間保存され
ていた遺作「母親像」が、はじめて展示されると新聞で報道された。
「祈りの絵」展には作者の略歴遺品も展示してある。会場は入った時から普通の美術館とは何か雰囲気が違うように感じた。静かな空間で言葉は何も聞こえない、絵の前で静に立ち止まっている人も多い、涙をためて立ち尽くす人もある。この作品を残した画学生たちと私は同世代である。作品の前に立つと、絵に込められた心情が、ひしひしと伝わってきて、無言のまま、一枚一枚の絵の前に立ち尽くした。自分自身の五十年前の思い出が、心の中に次から次にと、泉があふれ出るようにわき上がってくる。母親像。家族、日本の風景の絵に残した画学生たちの心が素直に理解できた。「祈りの絵」展を見て心の中に、上田市の「無言館」には、ぜひ一度行ってみたいと思った。
   七生造園
この年十一月私の趣味としている水琴窟で知り合った日野市「七生造園」の濱田さんを訪問した。浜田さんは昭和六十年NHKテレビで、水琴窟の放送を見て研究を始め、美濃市の見学にも出かけ、日本の音研究所にも来訪された。その後自分で独自に研究製作されて、富士の裾野に茶室水琴窟をはじめ、いくつかの立派な水琴窟を製作された。私も何回か水琴窟見学に日野市の濱田さんを訪ねている。
 三年半前、近くの蕎麦屋の室内に、水琴窟が完成したと連絡をいただき見学にいった。室内に響く水琴窟を聴きながらの、蕎麦の味は忘れられない思い出となった。その日濱田
さんは、健康そうに見えたが、明日から入院手術の予定と聞いて驚いた。
 あれから三年半、病気療養中とは聞いていたが、多忙に追われてお見舞いもせず失礼していた。昨年濱田さんから、「やっと元気になりました。まだリハビリ中ですが」の電話を頂き、ぜひお会いしたいと連絡をした。十一月二十日、日野市濱田さんの事務所を、三年半ぶりに訪問した。まだリハビリ中で、杖をついているが以前とは全く変わらずお元気で
事務所の水琴窟も変わらず美しく響いている。つもる水琴窟の話に花が咲いた。
「やっと元気になり車の運転も出来るようになった。ここからは近いので車で一緒に信州上田市に出かけませんか」と濱田さんから提案があった。宿泊も別所温泉に予約してあるとのこと。浜田さんは元気になったらテレビで見た「無言館」へ、行きたいと考えていたという。その偶然に驚いた。「無言館」にはぜひ行きたいと考えていたので、喜んで同行することになった。
 出発は午後になった。中央高速を走り、山の峠をいくつか越えて日の暮れた午後五時別所温泉に着いた。別所温泉は信州の鎌倉といわれている静かな山の中、「俵屋別荘」は古い四階建楼閣が残る木造の旅館。今夜はゆっくりと泊まり、明日無言館に行くことになった。
   無言館
 信州の紅葉はすでに盛りは過ぎている。無言館は塩田平を見下ろす静かな丘の上にひっ
そりと建っていた。中に入ると美術館とは思えない暗い照明である。戦前の暗い照明の下で描かれた絵が多く、五十年の歳月はこの暗さが効果的であろう。八月に見た「祈りの絵展」と同じ展示もあるが、初めて見る絵も多くある。
開館と同時に十人ほどの入場者があったが、館内は全く静かである。説明する言葉はここではいらない、「祈りの絵展」と同じ静粛な空間である。絵としての作品を鑑賞するのではなく、絵と自分が自然に、そして素直に対話を始めている。同世代の私としては特にそんなことを強く感じる。画学生たちは筆と色でキャンパスの中に、自分自身の魂を塗り込めている。自分が軍隊に入る頃どんなことを考えていたのか、後から後から五十七年前のことが心の中にわき上がってくる。絵が描かれた時代を昨日のことのように思い出した。作品を残した青年たちが、生き残った私達に残してくれた平和を、どうやって守り育てて行くのかと問われている。入場料は出口でお志をというのは、ここでもう一度自分の心の中を、振り返って欲しいとの館主の思いであろうか。無言館の外に出て紅葉の塩田平を静かに眺めた時私は一つの短歌を思い出した。
「いつさいの 言葉拒否する響きあり 水琴窟は何を語るか」 ひろ子
目の不自由なひろ子さんが水琴窟を初めて聞いたとき、歌われた短歌である。
 水琴窟は、言葉の必要はない、四季それぞれに、この音は自分の心との対話である。無言館の絵と、水琴窟は共に同じ地点に立っていることに気がついた。無言館の岡の上に、水琴窟があったならと想像した。
無言館に入る前に静かに水を流して聴く、そして出たときもう一度この音を聴く。水琴窟の響きは永遠に忘れがたい音風景として、自分の心の中に刻まれるのではないかと思う。
信州塩田平は私に晩秋の音風景をゆっくりと感じさせてくれた。そして「無言館」は私に
生きて行く大きな夢を与えてくれた。
秋深く 音風景の 無言館  寂音
平成十五年二月二十一日


# by suikin | 2006-12-12 16:10


赤坂水琴窟ギャラリー
【日本水琴窟フォーラム】
赤坂 水琴窟ギャラリー
東京都港区赤坂4丁目10-20     
Tel 03-6904-3141
開設しました。




# by suikin | 2006-06-04 16:11


名古屋城二の丸庭園水琴窟「初音式」



名古屋城二の丸庭園水琴窟「初音式」   
平成18年1月18日(土)午後2時から名古屋城二の丸庭園茶亭にて「水琴窟初音式」が行われた。
 【日本水琴窟フオーラム】から中野、坂田、分部の3名が参加した。
 名古屋城二の丸庭園茶亭の水琴窟は昭和61年5月吹上ホールで水道展が開かれそこで展示公開されたが騒音が多くマイクを入れてイヤホンで聴かせたと覚えている。
 この水琴窟が名古屋城二の丸庭園茶亭に寄付された。完成後この水琴窟を聴きに行った。
 水を入れても水がすぐあふれてあまり良い音はしなかった。私も茶亭の人にこの水琴窟は作り方がおかしいと言ったこともあった。しかし水琴窟にまだ関心の少ない時代でそのままとなった。平成3年出版された「幻の音水琴窟」の全国水琴窟一覧には入っている。
 その後名古屋市の白鳥庭園に水琴窟が完成。名古屋城の水琴窟は忘れられてしまった。
執念の復元
【日本水琴窟フオーラム】会員の鈴木さんが、昨年秋名古屋城を訪ねて、水琴窟の音が聞こえないことに気づいた。鈴木さんは江戸時代の水琴窟の復元をいくつも完成されている。
 ぜひ水琴窟の音を復元したいと名古屋城管理事務所に申し入れた。1月9日から2日間で完成した。愛。地球博「水琴窟コンサート」で共演した石田音人さんにも呼びかけ「水琴窟初音式」が1月18日午後2時開かれた。
 中日新聞にも水琴窟復元のことが掲載されたので30名程の人があつまった。TV新聞のす取材も多くあった。「水琴窟コンサート」は復元した水琴窟の音と見事な演奏となった。
鈴木さんの水琴窟にかける執念が名古屋城水琴窟復元になった。


【日本水琴窟フォーラム】www.suikinkutsu.com
「東海水琴窟ネツト」http://www7a.biglobe.ne.jp/~suikinkutsu
# by suikin | 2006-06-02 15:03


大正生まれの歌
昭和の音風景 「大正生まれの歌」 
                        中 野 之 也
   私の原風景は大正という時代である。大正生まれの昭和育ちと自己紹介する私は、昭和生まれとは少し違う、そんな気持ちが心の中にあるようだ。昭和18年徴兵年齢が19歳に引き下げられ、大正最後の15年生まれまでが徴兵検査を受けた。これが日本陸軍最後の兵隊であった。
 私達が受けた教育はすべて大正時代そのままであった。職場に入って仕事も、人生の先輩達も揃って、大正デモクラシーを身につけていた。大正の原風景が私にどのような影響があったのか、いままであまり感じることはなかった。
 2004年3月朝日新聞論説委員早野透さんが「ポリテカにっぽん」のコラムの中で、山中貞則代議士の死を悼む「山中氏の死と大正生まれの歌」が記事となった。自分で歌ったことはなかったが、どこかで聞いた歌だと思った。この時自分が大正生まれであることを強く感じた。
 その後調べるとSPレコードが二枚発売され、西村晃の歌をテレビで聴いたことがあった。インターネツトの時代で、原作者も大正十四年生まれと知り、ネットでこのレコードも聴くことができた。
 一番二番に続いて自分で作る大正の生まれの歌。女性編も、昭和生まれの歌も作られている。私も自分の大正生まれの歌に挑戦してみた。
          大正生まれの歌(小林朗作詞)
一番 大正生まれの俺たちは/明治の親父に育てられ/忠君愛国そのままに/お国のために働いて/みんなのために死んでいきゃ/日本男子の本懐と/覚悟は決めていた /なあお前
 二番 大正生まれの青春は/すべて戦争(いくさ)のただなかで/戦いごとの先兵は/みな大正の俺たちだ/終戦迎えたその時は/西に東に駆けまわり/苦しかったぞ /なあお前 
          大正生まれの歌(自作)
大正生まれのこの俺は/徴兵検査は満十九/第一乙に合格して/その年師走の一日に/伊勢斉宮の通信隊に入営した。
大正生まれのこの俺は/兵隊暮らしは地震、空襲、空腹で/栄養失調で三月入室/一期の検閲入室中/三月末に部隊は中国出征だ。  
大正生まれのこの俺は/釜山から南京まで/貨車に詰めこめられて十日間/着いたところは南京中華門の第四航空通信隊/行進中に気を失いまたも入室した。
大正生まれのこの俺は/入室中に幹候合格/中隊でたったひとりの幹候で/毎日下士官室で勉強する/七月幹候教育で石家荘へと出発する。
大正生まれのこの俺は/北京行きの汽車のなか/マラリヤ発熱一等車へとはいり込む/北京に着いたら熱下がり/無事に部隊に到着した。
大正生まれのこの俺は/着いたその日にマラリヤ熱で三度目入室/八月十五日は病院で検診中/戦争は終わったらしいと知らされる/家を出てから一年で生きて我が家にたどりついた。/なあお前
 昭和の音風景として歌い継がれ、今でも歌われている「大正生まれの歌」である。
                             平成十八年四月 十日

# by suikin | 2006-06-02 14:48


水琴窟めぐり 深田邸
水琴窟めぐり
昭和60年NHKテレビの放送の頃東海地方の水琴窟を訪ねてよく歩いた。その結果が
「幻の音風景水琴窟」の出版の全国水琴窟一覧となった。
 昔出会った古い水琴窟の現在はどうなっているか、私が水琴窟に出会ってから20年の歳月が流れた。新しく発見された水琴窟、昔の水琴窟をもう一度訪ねてみたいと思い立つた。
最初に訪ねてのは名古屋市千種区の深田邸平成4年【日本水琴窟フオーラム】の会報に記事がある。80年の歳月にも全く変わらず良い水琴窟の音を聴くことができた。
# by suikin | 2006-02-02 16:10


2006.1.16 「音風景」ブログをはじめます
本日より「音風景」のブログをスタートします。

       中野之也


# by suikin | 2006-01-16 12:48

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