「無言館」
平成九年長野県上田市に完成した無言館は、太平洋戦争で亡くなられた画学生の遺品
を全国から集めて展示する美術館である。
平成十四年八月、私は高浜市「かわら美術館」で開かれた「祈りの絵」展にでかけた。「祈りの絵」展は無言館の全国巡回展である。東海地区からも、戦後五十年間保存され
ていた遺作「母親像」が、はじめて展示されると新聞で報道された。
「祈りの絵」展には作者の略歴遺品も展示してある。会場は入った時から普通の美術館とは何か雰囲気が違うように感じた。静かな空間で言葉は何も聞こえない、絵の前で静に立ち止まっている人も多い、涙をためて立ち尽くす人もある。この作品を残した画学生たちと私は同世代である。作品の前に立つと、絵に込められた心情が、ひしひしと伝わってきて、無言のまま、一枚一枚の絵の前に立ち尽くした。自分自身の五十年前の思い出が、心の中に次から次にと、泉があふれ出るようにわき上がってくる。母親像。家族、日本の風景の絵に残した画学生たちの心が素直に理解できた。「祈りの絵」展を見て心の中に、上田市の「無言館」には、ぜひ一度行ってみたいと思った。
七生造園
この年十一月私の趣味としている水琴窟で知り合った日野市「七生造園」の濱田さんを訪問した。浜田さんは昭和六十年NHKテレビで、水琴窟の放送を見て研究を始め、美濃市の見学にも出かけ、日本の音研究所にも来訪された。その後自分で独自に研究製作されて、富士の裾野に茶室水琴窟をはじめ、いくつかの立派な水琴窟を製作された。私も何回か水琴窟見学に日野市の濱田さんを訪ねている。
三年半前、近くの蕎麦屋の室内に、水琴窟が完成したと連絡をいただき見学にいった。室内に響く水琴窟を聴きながらの、蕎麦の味は忘れられない思い出となった。その日濱田
さんは、健康そうに見えたが、明日から入院手術の予定と聞いて驚いた。
あれから三年半、病気療養中とは聞いていたが、多忙に追われてお見舞いもせず失礼していた。昨年濱田さんから、「やっと元気になりました。まだリハビリ中ですが」の電話を頂き、ぜひお会いしたいと連絡をした。十一月二十日、日野市濱田さんの事務所を、三年半ぶりに訪問した。まだリハビリ中で、杖をついているが以前とは全く変わらずお元気で
事務所の水琴窟も変わらず美しく響いている。つもる水琴窟の話に花が咲いた。
「やっと元気になり車の運転も出来るようになった。ここからは近いので車で一緒に信州上田市に出かけませんか」と濱田さんから提案があった。宿泊も別所温泉に予約してあるとのこと。浜田さんは元気になったらテレビで見た「無言館」へ、行きたいと考えていたという。その偶然に驚いた。「無言館」にはぜひ行きたいと考えていたので、喜んで同行することになった。
出発は午後になった。中央高速を走り、山の峠をいくつか越えて日の暮れた午後五時別所温泉に着いた。別所温泉は信州の鎌倉といわれている静かな山の中、「俵屋別荘」は古い四階建楼閣が残る木造の旅館。今夜はゆっくりと泊まり、明日無言館に行くことになった。
無言館
信州の紅葉はすでに盛りは過ぎている。無言館は塩田平を見下ろす静かな丘の上にひっ
そりと建っていた。中に入ると美術館とは思えない暗い照明である。戦前の暗い照明の下で描かれた絵が多く、五十年の歳月はこの暗さが効果的であろう。八月に見た「祈りの絵展」と同じ展示もあるが、初めて見る絵も多くある。
開館と同時に十人ほどの入場者があったが、館内は全く静かである。説明する言葉はここではいらない、「祈りの絵展」と同じ静粛な空間である。絵としての作品を鑑賞するのではなく、絵と自分が自然に、そして素直に対話を始めている。同世代の私としては特にそんなことを強く感じる。画学生たちは筆と色でキャンパスの中に、自分自身の魂を塗り込めている。自分が軍隊に入る頃どんなことを考えていたのか、後から後から五十七年前のことが心の中にわき上がってくる。絵が描かれた時代を昨日のことのように思い出した。作品を残した青年たちが、生き残った私達に残してくれた平和を、どうやって守り育てて行くのかと問われている。入場料は出口でお志をというのは、ここでもう一度自分の心の中を、振り返って欲しいとの館主の思いであろうか。無言館の外に出て紅葉の塩田平を静かに眺めた時私は一つの短歌を思い出した。
「いつさいの 言葉拒否する響きあり 水琴窟は何を語るか」 ひろ子
目の不自由なひろ子さんが水琴窟を初めて聞いたとき、歌われた短歌である。
水琴窟は、言葉の必要はない、四季それぞれに、この音は自分の心との対話である。無言館の絵と、水琴窟は共に同じ地点に立っていることに気がついた。無言館の岡の上に、水琴窟があったならと想像した。
無言館に入る前に静かに水を流して聴く、そして出たときもう一度この音を聴く。水琴窟の響きは永遠に忘れがたい音風景として、自分の心の中に刻まれるのではないかと思う。
信州塩田平は私に晩秋の音風景をゆっくりと感じさせてくれた。そして「無言館」は私に
生きて行く大きな夢を与えてくれた。
秋深く 音風景の 無言館 寂音
平成十五年二月二十一日