昭和の音風景 「大正生まれの歌」
中 野 之 也
私の原風景は大正という時代である。大正生まれの昭和育ちと自己紹介する私は、昭和生まれとは少し違う、そんな気持ちが心の中にあるようだ。昭和18年徴兵年齢が19歳に引き下げられ、大正最後の15年生まれまでが徴兵検査を受けた。これが日本陸軍最後の兵隊であった。
私達が受けた教育はすべて大正時代そのままであった。職場に入って仕事も、人生の先輩達も揃って、大正デモクラシーを身につけていた。大正の原風景が私にどのような影響があったのか、いままであまり感じることはなかった。
2004年3月朝日新聞論説委員早野透さんが「ポリテカにっぽん」のコラムの中で、山中貞則代議士の死を悼む「山中氏の死と大正生まれの歌」が記事となった。自分で歌ったことはなかったが、どこかで聞いた歌だと思った。この時自分が大正生まれであることを強く感じた。
その後調べるとSPレコードが二枚発売され、西村晃の歌をテレビで聴いたことがあった。インターネツトの時代で、原作者も大正十四年生まれと知り、ネットでこのレコードも聴くことができた。
一番二番に続いて自分で作る大正の生まれの歌。女性編も、昭和生まれの歌も作られている。私も自分の大正生まれの歌に挑戦してみた。
大正生まれの歌(小林朗作詞)
一番 大正生まれの俺たちは/明治の親父に育てられ/忠君愛国そのままに/お国のために働いて/みんなのために死んでいきゃ/日本男子の本懐と/覚悟は決めていた /なあお前
二番 大正生まれの青春は/すべて戦争(いくさ)のただなかで/戦いごとの先兵は/みな大正の俺たちだ/終戦迎えたその時は/西に東に駆けまわり/苦しかったぞ /なあお前
大正生まれの歌(自作)
大正生まれのこの俺は/徴兵検査は満十九/第一乙に合格して/その年師走の一日に/伊勢斉宮の通信隊に入営した。
大正生まれのこの俺は/兵隊暮らしは地震、空襲、空腹で/栄養失調で三月入室/一期の検閲入室中/三月末に部隊は中国出征だ。
大正生まれのこの俺は/釜山から南京まで/貨車に詰めこめられて十日間/着いたところは南京中華門の第四航空通信隊/行進中に気を失いまたも入室した。
大正生まれのこの俺は/入室中に幹候合格/中隊でたったひとりの幹候で/毎日下士官室で勉強する/七月幹候教育で石家荘へと出発する。
大正生まれのこの俺は/北京行きの汽車のなか/マラリヤ発熱一等車へとはいり込む/北京に着いたら熱下がり/無事に部隊に到着した。
大正生まれのこの俺は/着いたその日にマラリヤ熱で三度目入室/八月十五日は病院で検診中/戦争は終わったらしいと知らされる/家を出てから一年で生きて我が家にたどりついた。/なあお前
昭和の音風景として歌い継がれ、今でも歌われている「大正生まれの歌」である。
平成十八年四月 十日